寛松能
能の公演 | 能の普及活動
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「能」には主に4つの役があります。ここを押さえておくと、登場人物の役割やそれぞれの関係性、演目の内容が大体わかります。
【シテ方/してかた】能を上演するうえで最も多くの役を担当。
能の主役であるシテのほか、ツレ~シテやワキに連れられて登場する人物~や子方(こかた)~子役、謡(うたい)の合唱部分を担当す る地謡(じうたい)、シテの装束の乱れを直したり、小道具を渡したり代役を勤めたりする後見(こうけん)など多くの役を担当します。
【ワキ方/わきかた】主役であるシテの相手役。
現実の仁源として登場し、面をつけず(直面~ひためん~)、ワキ、ワキツレとともに常に男の役を担当。ワキは、侵食、僧侶、武士など、常に現実に生きている男性の役。
【囃子方/はやしかた】笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類の楽器を演奏し合わせて四拍子と言います。それぞれに笛方、小鼓方、大鼓方、太鼓方と専門の演奏者として分かれています。
【狂言方/きょうげんかた】狂言および間狂言を受持つ役者のこと。
能ではアイ(間)と呼ばれる役を担当。アイは前後半の間シテが退場している間にゆかりの物語を語ったり、筋の展開に沿って活躍します。狂言においては、主役のシテ、脇役のアドなどの役を担当。
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「能」は狂言とともに、14世紀室町時代の初期に成立したもので、合わせて能楽(のうがく)と呼ばれています。
もっとずっと過去をさかのぼると、奈良時代に大陸(今の中国)から伝来した「散楽」(さんがく)という民間芸能があり、そこから現在の「能」に発展して行ったようなのですが、歴史から入るとあまりに覚えることが多すぎて、観る前に興味を失ってしまうかも知れないので、ここでは気軽に「能」を鑑賞する時の簡単なポイントだけ触れてみたいと思います。
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主役はシテといわれ、同じ人が面と装束を替えて演じます。 この前後半のあいだにシテが着替えるのですが、そこで間狂言(あいきょうげん)※が演じられます。 例をあげてみましょう。
前半、まず脇役(ワキと呼びます。旅僧や神職の役が多い)が登場し、里人(前シテ)に出会います。 ワキは里人と会話をしているうちに、そこが死者や不思議な出来事の起きた場所であることを知ります。そして、その里人が自分は一連の出来事の主人公であると、ほのめかします。その途端、里人は姿を消し、ここで前半が終わります。
まもなく間狂言(アイ)の人(通りすがりの人の役が多い)が現れて、その所縁(ゆかり)の話をする中で、ワキが貴方とお会いする前に我が身で体験したの如く、あまりに詳しく語る方に接した事を話します。 するとアイは「先ほど会った方はもしかするとその所縁の亡霊かもしれません。夜もすがらお経をあげてると不思議な事に遭遇するかもしれません。何かあれば言って下さい。」と可能性を促し、また、わかりやすく状況説明をしてその場から退きます。
後半はワキが主人公の登場をお経をあげたりしながら待つているところから始まります。そこへ生前の装いをした後シテ(曲目の本体)が現れ、自分の身に降りかかった出来事を語り、謡(うたい)と囃子(はやし)に合わせて舞います。 やがて舞が絶頂に達し、夜明けとともに後シテは姿を消します。夜明けではなく、浄化されたり、恨みを持ったり、お告げを言ったりしながら消えるパターンがあります。
夢幻能と呼ばれるお能の曲目のほとんどがこのような構成になっています。 しかし、お能の代表的な曲目『羽衣』などは一部構成ですし、必ずしも二部構成とは限りません。
「能」は観客の方もそのストーリーに参加しつつ、その時々の状況に応じて観る愉しみ、いにしえをかんがみて自分に消化する芸能です。
※間狂言・・能1曲の中で狂言方が演じる部分の演技または役柄。